この2年がなかったら。

あの2年間がなかったら、今の私はなかった。
ある人が私にこう言いました。
彼女は6年間の社会人生活から一旦身を引いて、
海外で勉強をしてこようと決心したばかりなのです。


あの2年間とは、社会人になって最初の2年間。
その会社は職種別採用をしていて「君はこの職種だよ」といわれ、
「もし、違う職種になることがあったら内定を辞退します」
と確約を取っていたにもかかわらず、まったくといっていいほど、
日のあたらない部署に配属になってしまったのです。


彼女は人生ではじめての挫折感を味わったそうです。
とはいっても、その部署はまさに立ち上げの時期。
部署のメンバーはたった3人。これから事業として成り立つかどうか、
彼女はいわゆる新規事業に配属されたのです。


頑張れば、頑張ったなりに「オレの判断は正しかった」と人事に思われるのも嫌。
頑張らないで、ふてくされているのを見られて「あいつは、そういうやつなんだ」
と人事や同僚に思われるのも嫌。
任された案件を見ても他の同期とは明らかに違うし、期待値が違うのもわかる。
やっぱり、期待されてないし、差別されてるのかもしれない。
会社の人間なんて、誰一人信じられない。もう誰とも関わりたくない。
そんな状況で最初の2年間を過ごしたらしいのです。


だけど、それなりに時間を過ごしているうちに、
彼女は彼女なりの目標と仕事のやり方が見えてきた。
「私は成功するために、皆みたいにがむしゃらにやる意欲はない。
最小限の努力で最大限に儲けられるように努力してみよう。」


ムダに話を大きく見せることもしない、
足しげくクライアントに通うのでもない。
ビジネスとして成功するためのステップを着実に歩いていったそうです。


すると、新規事業という個人がバラバラに動きかねない状況下で、
彼女を中心とする組織マネジメントの姿が完成し、
事業が着実に動き始めるようになったそうです。


そして気が付けば6年間。先輩の強烈なリーダーシップと、
彼女の強力なマネジメント力のおかげで、
会社的にも一事業として認められるほどのスケールになったのです。
そして彼女は、自分の役目は一段落したんだと決意したのです。


とはいえ、6年間もいるうちにもっと大きな問題意識を持つようになってしまった。
海外で体系的に勉強したら、また同じ会社の同じ部署に戻ってくるかもしれない。
その時は、この会社をシェアNO.1にするための力をこの手につけて、戻ってきます。


最初の2年間がなかったら、
私はこの会社をこんなにも愛せなかったと思う。


彼女の言葉には一筋縄ではいかない強さがあった。