自己分析とは

就職活動を順調にすすめるためには、自己分析が重要。
そういう人も多いし、そのわけもわかります。
その人の性格や適性にあっていないのが明らかなのに、
無理して大きく見せて面接を受けたって、先に進めるわけがない。
自分の自分らしさを最大限そのまま出せる企業に就職したほうが、
単に有名企業に就職するよりも、圧倒的に幸せに決まってる。
女性のほうが、自分を矯正しようとする力が大きいらしく、
自己分析にも時間をかける人が多いように思います。

その自己分析の方法。
いろんなマニュアル本があるけれど、
ある人がこんなことを言っていました。

自己分析なんて改めてやるほどのことじゃないですよ。
自分は小説を読むのが大好きで、ストーリーよりも登場人物の発言や
キャラクターについて、あれこれ想像し、分析するのが好きなんです。
そうした後で、自分だったらどう振舞うかを考える。
そういうクセができているから、自分の価値観が明確なんです。

なるほど。それは正しい。
もう一人もこんなことを言っていました。

自分は毎日日記をつけているんです。
人からいわれた言葉をそのまま忘れてしまうのがもったいなくて。
今日読んだ本で心に残った言葉を忘れてしまうのがもったいなくて。
そこに自分の感想を書き続けているんですが、
そのうちにやっぱり自分の本来の姿が見えてくる。
どんな言葉に感動したのか、心動かされたのか。
だから、嘘のない自分を認めることができる。

2人とも、ものすごく落ち着いて自己認識できている。
ノウハウ本を買ったり、ワークをしてみつけるのもありかもしれませんが、
毎日すこしずつ、自分自身を見つめていく作業をしていくほうが、
より濃厚な自己分析になっているのではないか。そんな気がしました。

この2年がなかったら。

あの2年間がなかったら、今の私はなかった。
ある人が私にこう言いました。
彼女は6年間の社会人生活から一旦身を引いて、
海外で勉強をしてこようと決心したばかりなのです。


あの2年間とは、社会人になって最初の2年間。
その会社は職種別採用をしていて「君はこの職種だよ」といわれ、
「もし、違う職種になることがあったら内定を辞退します」
と確約を取っていたにもかかわらず、まったくといっていいほど、
日のあたらない部署に配属になってしまったのです。


彼女は人生ではじめての挫折感を味わったそうです。
とはいっても、その部署はまさに立ち上げの時期。
部署のメンバーはたった3人。これから事業として成り立つかどうか、
彼女はいわゆる新規事業に配属されたのです。


頑張れば、頑張ったなりに「オレの判断は正しかった」と人事に思われるのも嫌。
頑張らないで、ふてくされているのを見られて「あいつは、そういうやつなんだ」
と人事や同僚に思われるのも嫌。
任された案件を見ても他の同期とは明らかに違うし、期待値が違うのもわかる。
やっぱり、期待されてないし、差別されてるのかもしれない。
会社の人間なんて、誰一人信じられない。もう誰とも関わりたくない。
そんな状況で最初の2年間を過ごしたらしいのです。


だけど、それなりに時間を過ごしているうちに、
彼女は彼女なりの目標と仕事のやり方が見えてきた。
「私は成功するために、皆みたいにがむしゃらにやる意欲はない。
最小限の努力で最大限に儲けられるように努力してみよう。」


ムダに話を大きく見せることもしない、
足しげくクライアントに通うのでもない。
ビジネスとして成功するためのステップを着実に歩いていったそうです。


すると、新規事業という個人がバラバラに動きかねない状況下で、
彼女を中心とする組織マネジメントの姿が完成し、
事業が着実に動き始めるようになったそうです。


そして気が付けば6年間。先輩の強烈なリーダーシップと、
彼女の強力なマネジメント力のおかげで、
会社的にも一事業として認められるほどのスケールになったのです。
そして彼女は、自分の役目は一段落したんだと決意したのです。


とはいえ、6年間もいるうちにもっと大きな問題意識を持つようになってしまった。
海外で体系的に勉強したら、また同じ会社の同じ部署に戻ってくるかもしれない。
その時は、この会社をシェアNO.1にするための力をこの手につけて、戻ってきます。


最初の2年間がなかったら、
私はこの会社をこんなにも愛せなかったと思う。


彼女の言葉には一筋縄ではいかない強さがあった。

女性が働くということ

あまり決め付けてはいけないのかもしれませんが、
男性と女性とでは、就職活動のプロセスや価値観が違うように思います。
新卒採用市場では、女性のほうが優秀に見えるという説も、
その価値観と覚悟の違いにあるような気がします。


まず、女性はどんな環境で働くか、どのように働くかという
仕事のスタイルや、仕事のやりがいといったキーを大切にするようです。
だから、まず自己分析を比較的真面目にする。
その上で、自分にあった職種を探し、自分にあった働き方を求める。
そして、女性同士のライバル意識がものすごく強い。
だから就職活動中の情報交換が素直にできなかったりして、
孤独な中でも自分なりの結論を持って就職活動にあたる。


一方で、生涯働き続けることが前提としてある男性は、
職種より、どういった会社で自分を成長させるかを考えるようです。
だから、職種よりも会社のヴィジョンや、社長の考え方、
扱う商品・サービス、社風みたいなものが重要だったりする。


たとえ、自己分析の結果、自分が商品開発に向いていて、
あまり営業に向いていないと出たとしても、営業だからと逃げない。
将来的にその会社の商品を企画するためにも、営業の経験や、
現場の経験が重要なんですと素直に口にできる。
そして、男性はライバル意識よりも、同志意識が強い。
お互いのキャリアのために苦言を求めることも厭わない。


どちらがいいというわけではありません。
だけど、あれこれと選択の可能性があるからこそ、
女性の就職活動は精神的にハードなんじゃないかと思います。


総合職の女性が活躍している理由もそこにあるのかもしれないですね。
いろんなことを考え、悩み、仕事のスタイルを決めたからこそ、
覚悟を持って仕事にあたる。頑張りすぎて燃え尽きる人もいる。


あこがれの大学に入った人と、滑り止めとして大学に入った人
同じ大学生でも4年間の過ごし方や、人との接し方、
モチベーションが異なってくるのと同じことかもしれません。


ただ、自分が変わる可能性があるというゆとりも大切にしたいですね。
数年働いている中で、価値観も覚悟も変化するはずです。
それを許す余裕があれば、きっと仕事も楽しめるようになるはず。
今日、ある後輩と話をしていて、そんなことを思いました。

豊かな社会の予感

ある友人から面白い話を聞きました。
彼は、最近ちょっと不思議でならないことがあるというのです。


それは、今まで接してきた女性とは、ちょっと違う種類の女性が
増えてきているような気がするというのです。
少なくとも、そういう女性と知り合う機会が増えたそうです。


今まで接してきた女性は、いかにもステレオタイプで、
価値観がとてもわかりやすかったそうです。


ちょっとおしゃれなお店でご飯を食べたり、
話題のスポットに出かけたりすることを喜んだし、
ちょっとしたプレゼントをおねだりされたりする。
そして、デートの帰りは家まで車で送る。
別れ際にキスをするとうれしそうに帰っていく…
そんな一般的な女性が多かったというのです。


だけど最近は、そんなことでは喜ばなさそうな女性と
よく出会うんだそうです。
しっかり目を見つめてくる女性、簡単に言えば精神的にも
自立した人が多いんだそうです。
それが年齢的なものだけじゃないのが不思議なんだとか。


仕事ができて、だけど無理をしていない。
ちょっと恋愛べただけど、自分の意志を明確に持っている彼女達。
自分なりの楽しみ方をよく知っているからか「どこ行きたい?」
という問いに「楽しく過ごしましょ」と答えられてしまいそうで、
彼はどう接すればいいのか、正直戸惑ってしまうのだとか。


その話を聞いてちょっとうれしかったんです。
もしかすると社会が成熟してきたのかもしれないなぁって。
勝ち負けでもなく、格でもなく、トレンドでもない。
一人一人の感性を大切にして生きていける社会が
いよいよ訪れようとしているのなら、
これほど豊かな時代はないんじゃないでしょうか。

就職活動って

社会人ならばほとんどの人が経験している就職活動。
「楽しんだもの勝ち」なんてよく言われてる。
だけど、本当にそうなんでしょうか?


楽しんだ人はそれで満足でしょう。
だけどもしかしたら大切なものを見落としてるのかも。
今、この時にしか得られないものから逃げているかも。


就職活動は一皮向ける大きなチャンス。
それは世慣れすることとはちょっと違う。脱皮する瞬間だと思う。


どれだけ深く自己分析して勝ちパターンを見つけたかではなく、
どれだけ多くの人々と会って、会社説明会に行ったかでもなく、
どれだけ多くの企業から内定をもらえたというものでもない。


きっとどれだけ頭を使ったかなんだと思う。
本や人から学べることではなく、自分の頭を使うこと。
自分のこと、社会のこと、企業のこと、将来のこと
正解のないことを、ただひたすら愚直に考える。


ここでどれだけ頭を使い、想像力を身につけられるかが
結構、その人の人間的な大きさを決めるのだと思う。


「就職活動」自体を楽しむのもいい。
だけど、どんなに辛くても、時間をかけて頭を使う。
そういう時間を大切に楽しんでほしいと思った。

刺激的な出会い

ニート」の著者でもある玄田先生にお会いしました。


ジャージにTシャツというラフな姿。
それなのに「今日はマスコミの日」とおっしゃる。
名刺代わりに抹茶クッキーをいただいたりして、
とてもユーモアの効いた、フランクで素敵な方でした。


最近いろいろなところで姿をうかがえる機会も増えていて、
いろいろと先生の活動を批判する方もいらっしゃるでしょう。
だけど、話をうかがえば、それが彼自身の自己顕示欲の現れ
ではないことが明確にわかるはずです。


「2重構造」の石川先生との出会い、使命として感じていること、
「どうしてみんながHAPPYになれないんだろうか」と
基本を愚直に考え続けてきたという、研究スタイル。


今日取材中に先生が話してくださったことで印象に残った言葉がいくつかあります。


「若者にはもうあまり言うことはないんです。というか、言うことにためらいを感じているんです。なぜかというと、子供にばかり変われ変われって言っていて、言っている大人が変わらなければ結局、何も変わらない。子供にだけ責任を押し付けているのは、フェアーじゃない。もっと大人ってサラリーマンってまんざらでもないな、大人の人生って楽しいなって所を、世の中に、子供に、大人は表現していかないといけない」


「人間には格なんてない」


「大学で専門性を身につけたって、社会では全然通用しないんです。むしろ、大学時代に自分の価値観を揺るがすような経験をたくさんしたほうがいい。異国を旅をすること、素晴らしい恋をして失恋すること、そういった、わけのわからないことに何とか対応していく力こそが社会で一番求められるんだ」


まさにその通り。彼はどうしてここまで社会人の心理がわかるのでしょう?
働いたことのない人には、なかなか想像できないことだと思うのです。


実は取材の後、一緒にビアガーデンで飲んだのですが、
こっちの話のほうが、数十倍も面白かったんです。
おなかが痛くなるほど大笑いしました。


ちなみに玄田先生が18歳の時に東京大学を選んだのは、
桃井かおりの歩く街に住みたかったかららしい。
それを聞いて、桃井かおりファンの私は無性にうれしくなりました。

情報過多な中で

最近、富に感じるのですが、
こんなに情報過多な時代に生まれ育った人達って、
いったい何を信じるようになるのでしょう。


企業が綿密にマーケティングして作った広告は、
明らかに消費者に見抜かれ、信用性を失っている気がするし、
もっとリアリティーがあり、信用できるといわれている
口コミですら、SNSやブログなどで氾濫しすぎて、
何を信じたらいいのかよくわからない。


一般的なニュースも新聞・雑誌・テレビ・ネットなど、
様々なメディアのニュースを違った角度から情報をとらえて、
本当の姿をとらえようというマニアックな人がいる一方で、
偏った情報だけを受け止めて、それを信じる人もいる。


今後、情報の目ききのような存在が必要になるのでしょうか?
だけど、その時のカギになるのは、
「私にぴったり」な情報ソースであることなのかもしれない。
つまり、どれだけ「私」のことを理解してくれているか、
その上で情報を発信してくれているかが重要なのかも。


一番ぴったり合いそうなのが一次情報。身近な友人。
興味の有無に加えて、自分のようなタイプの人間の志向にあった
情報を提供してくれるから、居心地もいいし、信用もする。
だけど、これがますます「視野」を狭めてしまうような気もする。


情報過多な海の中で、居心地のいい狭いカゴに入らないように、
「私単位」の世界で留まらない努力と勇気も必要なんだと思う。