情報過多な中で

最近、富に感じるのですが、
こんなに情報過多な時代に生まれ育った人達って、
いったい何を信じるようになるのでしょう。


企業が綿密にマーケティングして作った広告は、
明らかに消費者に見抜かれ、信用性を失っている気がするし、
もっとリアリティーがあり、信用できるといわれている
口コミですら、SNSやブログなどで氾濫しすぎて、
何を信じたらいいのかよくわからない。


一般的なニュースも新聞・雑誌・テレビ・ネットなど、
様々なメディアのニュースを違った角度から情報をとらえて、
本当の姿をとらえようというマニアックな人がいる一方で、
偏った情報だけを受け止めて、それを信じる人もいる。


今後、情報の目ききのような存在が必要になるのでしょうか?
だけど、その時のカギになるのは、
「私にぴったり」な情報ソースであることなのかもしれない。
つまり、どれだけ「私」のことを理解してくれているか、
その上で情報を発信してくれているかが重要なのかも。


一番ぴったり合いそうなのが一次情報。身近な友人。
興味の有無に加えて、自分のようなタイプの人間の志向にあった
情報を提供してくれるから、居心地もいいし、信用もする。
だけど、これがますます「視野」を狭めてしまうような気もする。


情報過多な海の中で、居心地のいい狭いカゴに入らないように、
「私単位」の世界で留まらない努力と勇気も必要なんだと思う。